鯖棒亭日乗(下)

日常の記録写真と駄文  sababoutei@gmail.com

御朱印ブームでマナーの悪い人が増加

どうやらただいま空前の御朱印ブームらしい

つい先日も令和で各神社でものすごい行列を作っていたそうだ

俺も御朱印は集めている

きっけかはお遍路

まぁお遍路の時は御朱印もらっとかないと何番まで回ったかわからなくなるからな

それから観光で訪れたお寺でも御朱印を貰うようになった

さすがに写経まではしないが本堂では般若心経を唱えてご本尊の真言を唱えている

なので俺の場合はお寺専門

本来の御朱印もお寺に納経した証として頂くものだしな

俺の場合は両刀使いで神道も信仰している

家には親から引き継いだ神棚がある

毎日神棚にお参りもしているし神棚に祀ってある神社仏閣にも出来る限り参拝に行く

氏神様の前を通る時は車の中からではあるが頭を下げて挨拶もしている

自転車の時は自転車を降りてヘルメットを脱ぎお天道様にハゲ頭を晒してお参りする

歩きの時は脱帽してお参りをする

お寺さんでも山門をくぐる前に脱帽して頭を下げて境内に入る

高野山奥の院では脱帽する人がほとんどであるが一般のお寺で脱帽する人は少ない

そんな風に二刀流の俺だが御朱印だけはお寺のみと決めている

なので最近の神社の御朱印ブームのことはよく知らない

お寺の場合は以前に比べると増えてはいるがやはり仏教への不信感からかお寺ではそれほど御朱印ブームは感じない

本当は本家なんだがほとんどの人は無料で入場できる神社の方を利用するのだろう

お寺を訪れる人はちゃんとした目的があって訪れる人が多い

中には清水寺のように「とりあえず有名だから行ってみるか」的なお寺もあるが

観光寺の場合は仏教美術や名庭を目当てな人が割と多い

そのためか仏教への関心もあり神社ほどマナーは悪くない印象だ

仏像に興味持てば自然と仏教にも興味が出てくる

そしてお釈迦様や空海の教えを素晴らしいと思い日々の生活の中で実践しようとする人も多いだろう

しかし神道の方は何もない

ただなんとなく頭を下げ手を叩き自分勝手なお願い事をするだけ

本来は神に感謝するべき場所ではあるのだが

ほとんどの人は適当にその場だけ自分勝手なお願い事をするだけだろう

住所氏名すら告げずに

そして「パワースポット」「パワーも貰う」などとおかしなことを言い出すのだ

これはマスコミの影響だろうな

確かにパワーは存在してるだろうがあんたたちのためのパワーでもない

むしろ強すぎる力をなんとか沈めてると言ったところか

そのための氏子や神職の人なのだろう

そしてご神木など神が宿ってるものを気軽にペタペタ触りご神木なんかは抱きつく始末だ。要するに神様に抱きついてるのと同じだからな

そう考えれば自分がどれだけ失礼なことをしてるかわかるだろう

日本人特有の「よく知らないけどとりあえず拝んどけ」的な風潮

そこにコレクター心をくすぐられ空前の御朱印ブームとなっているのだろう

一体いつから誰がブームを作ったのか?

各ブームの仕掛け人としてみうらじゅん氏がいるが

彼も子供の頃からお寺の御朱印を集めている

しかし今回のブームはみうら氏は関係ないような気もする

はじめは「御朱印女子」だからな

彼女たちは一体何を見て御朱印に興味を持ったのだろうか?

気がつけば御朱印にご利益があるように思われ大ブームに

そして時代は令和になり便乗した限定御朱印

そんなもん出したらコレクターは必死になる

その結果が転売でありマナーの悪い人を呼び寄せるのだ

なんの意味もない限定御朱印

結局は神社側の客寄せだろうに

そしてどうしても令和元年最初の日付入りの御朱印が欲しいと殺到

大きな神社仏閣では御朱印は一人が書くのではない

数人で書く

誰に書いてもらうかはその時次第

そこで文句が出る

「ネットで見た見本と違う」

「下手くそだ」

「書き直してくれ」

ひどい人となるとせっかく書いてもらった御朱印にクレームをつけて

ページを破り捨て書き直せというらしい

どうやら普通の御朱印でなく特別な御朱印が欲しかったそうだ

結果として神社側は特別御朱印を出すこともなく料金も返却したそうだ

まぁそうだろうな

おそらくその神社では限定的な御朱印は用意してなかったのだろう

でも令和コレクターはどの神社でも限定御朱印があると思い込んでるんだろうな

俺の場合はあくまで旅の記録としての御朱印集めではある

なので限定だとか関係ないし書いてもらう順番も気にしない

お寺の場合はご本尊やそのお寺のキーマンとなる仏像の名前を書き入れることが多い

なので自分の好きな仏像の名前が入ってるだけでニヤニヤしてしまうのである

あとは枯山水が有名な龍安寺なら「石庭」とか一目でそのお寺の特徴がわかるようになってるところが面白い

そんなこともあり神社へは参拝はするが神社の御朱印には興味がないのだ

もともとコレクションしてるわけでもないしな

日付が入るので旅の記録として重宝するのだ

そして御朱印帳は仏壇に備えておく

お寺で参拝する時にも故人の本名と戒名を伝えて般若心経を唱える

そうすることで故人が生前に犯した罪が少しでも軽くなればという思いからである

生前の罪とは何も法を犯した犯罪ではない

人間の煩悩が罪なのだ

獣の肉を食べたり

それだけでも罪にはなる

特にロリコンや不倫には厳しい

誰しも嘘をつくこともあるだろう

それもまた罪である

あとは世界平和を祈り

その上で遠慮気味に自分の願い事を伝えておくのだ

あくまで他人第一である

そんな風に納経をして御朱印をいただくのである

「お願いします」「ありがとうございました」

お寺の納経所は割とマナーのいい人が多い印象だ

 

始まってしまった御朱印ブーム

もうどうにもならないだろう

仏教としては意味があるものなのでなくすわけにはいかないが

神社はとりあえず御朱印やめたほうがいいんじゃないかな

他の方法で参拝記念グッズを販売するとか

グッズなら少なくとも字が汚いとか文句言われることはないし行列ができても比較的短時間で捌ける

そして限定品は出さない

そんなことするから問題になる

なんで限定御朱印を出す必要があるのか?

全く理解不能である

それかいっそのこと10円ぐらい入場料とってもいいんじゃないかな

無料だからみんな集まっちゃうんだろうし

 

こればかりは神道ゆえの悩みだろうな