2018年の奈良冬の旅05
法隆寺に行くには幾つかの交通機関があるそうだがどれが一番早く行けるのか?
調べる気にもなれずにJRで行くことにした
クソ重たいバックパックはコインロッカーに押し込んだ
御朱印帳、タブレット、手帳に折り畳み傘、カメラと最低限の装備でJRに乗車した
すでにホームで電車は待機していたのでJR法隆寺駅までは10分ほどで到着した
しかしここからどうするか?
徒歩だと20分ぐらいだろうか?
距離にして1・6キロだ
バスもレンタルサイクルもあるが俺は徒歩を選択した
バスの本数は少ない
天気は小雨がぱらついている
傘がないわけじゃないが
俺はフードをかぶり冬の雨の中をひたすら歩いた
頭の中では「氷雨」が流れ出す
子供の頃に興味もなく聞いていた曲なのに完璧に歌詞を覚えている
やはり演歌というのは日本人のDNAに組み込まれているのだろうか?
最近のエグザイルとか3代目とかのヒット曲は全く頭の中に入ってこない
サビのメロディーすら覚えることができないというのに
冬の雨とはいえ歩いていると体がポカポカしてくる
今のアウトドアの服は優秀だ
ペラペラのにしとかないと暑すぎて街中では着られない
インナーで調整するぐらいがちょうど良い
法隆寺まではほぼ一本道
途中途中には看板があるので迷うことはない
しかも親切に残り距離まで書いてある
俺は途中でドラッグストアに寄った
トイレを拝借したかったからだ
トイレを済ませた俺は店内で一番安い水を一本購入した
サービスで栄養ドリンクをもらった
突き当たりの信号を左折
すぐにバスターミナルが現れる
そしてそこからすぐに法隆寺の参道だ
とは言っても参道は少々距離がある
両側にはお土産屋併設の飲食店が立ち並ぶ
まさに観光地
「こんなんだったかなぁ?」
全く記憶がない
せっかくなんで真ん中の参道を歩いた
人は誰も歩いていない
とても静かだ
逆にメジャー神社仏閣が観光客を集客してくれるおかげで俺は国宝重文を貸切状態で堪能できるというわけだ
とは言ってもここ法隆寺もメジャー級だ
何と言っても日本で最初の世界遺産
現存する世界最古の木造建築物群だ
修学旅行でも絶対に外せないスポットだろう
事実、俺も小学生の時に修学旅行で訪れている
しかしいくら記憶を辿っても取り出せないのだ
法隆寺と書いてある引き出しから
当時の奈良での記憶は猿沢池のお土産屋と大仏しかない
やはり小学生に京都奈良は早すぎるんだろうな
中学生、高校生になっても建物より片思いの女の子の姿ばかり見てたりするしな
そんなことを考えながら俺は真っ直ぐ真っ直ぐと南大門へ歩いていく
さすが法隆寺
風格があるな
「ん?奥の建物が工事中じゃないか・・・」
京都もそうだが修繕ラッシュだな
こんな状況で名古屋城の木造復元とか間に合うのだろうか?
宮大工は電ノコとインパクトだけでは建物は作れない
昔、通りすがりの宮大工の棟梁に甚く気に入られた俺は自宅に招待されいろんな話を聞かせてもらったことを思い出した
南大門をくぐる
「うわぁ、でけえ」
法隆寺は俺の予想をはるかに上回る規模で俺を向かい入れた
「こんなに大きかったとは・・」
現代に作られた石碑の字すらすでに見にくくなってるじゃないか
でも足場が残念だな
どうやら修復中なのは中門みたいだ
今年完成するらしい
これは「また来いや」ってことだろうな
俺は参拝券を1500円で購入した
法隆寺は確か一気に500円値上げしたはずだ
以前は1000円だったのか
それは安すぎるな
1500円ぐらいがちょうど良い
1500円で3つのエリアを回れるしな
西院伽藍
大宝蔵院
東院伽藍
この3つで1500円
一カ所当たり500円だからな妥当な金額といえば金額だ
607年に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設
そして何と言っても聖徳太子ゆかりの寺院である
宗派名からして「聖徳」だからな
最近では聖徳太子は存在しなかったとか言われているが
ここにきたら認めざるおえない
1万円札にもなった人だしな
境内の広さは約18万7千平方メートル
西院伽藍が現存する世界最古の木造建築物群なんだそうだ
ちなみに五重塔や金堂がある方が西院伽藍
夢殿がある方が東院伽藍である
写真は大講堂
ここも東大寺などと同じくど真ん中に参道があり灯篭が聳え立っている
925年に焼失し、正暦元年990年にほぼ元の規模と同じ大きさで再建されたそうだ
もちろん国宝である
中におられる方は薬師三尊
薬師如来をセンターに両脇に日光、月光を従える
当然国宝だ
その周りは四天王が守る
それぞれが担当する方角があるのが四天王だ
東は持国天の担当エリア
南が増長天の担当エリア
西が広目天の担当エリア
北が多聞天の担当エリアだ
ちなみに多聞天は四天王としてグループで活動するときの名称で
単独で祀られるソロ活動の時は「毘沙門天」と名前を変えるのだ
芸能人でもたまにいるしな
四天王の方々は重文である
それにしても人がいない
超メジャー級の法隆寺でさえこの有様とは・・・
かなりかっこいい五重塔
もちろん国宝で木造としては世界最古だ
他の寺となんか違うな?と思ったら屋根の大きさが違うらしい
それぞれの階層の大きさの差がかなりあるそうで
最上階の屋根は初層の半分の面積しかないという
そして塔身も上にいくにつれて細くなっていく
この差が絶妙なバランス感となり美しい姿を見せてくれてるのだ
中は暗くてよくわからないが、それぞれの四方を
釈迦の涅槃
分舎利(釈尊の遺骨の分配)
弥勒の浄土
と、それぞれの像によって仏の世界が再現されてるみたいだ
次は金堂だ
ご本尊を安置する法隆寺において最も聖なる場所だ
五重塔の横にある
ここには何と言っても聖徳太子のために作られた
飛鳥時代の特徴でもある面長の仏像たちだ
細身なスタイルで手足は長い
まるでモデルのようなとても綺麗なお釈迦様
運がいいことに1月7日から金堂修正会と言う行事がある
そのためにこの日は普段ならお釈迦様の前面に張り巡らされてる金網が撤去されていたのだ
これは滅多にないことだそうで、俺はお釈迦様を間近ではっきりと拝観することができたのだ
これも俺の日頃の行いがいいからに違いない
前日にも元興寺で幼少の頃の聖徳太子像に挨拶して今日法隆寺を訪れることを伝えておいたのもあるんだろうな
さすがに金網がないとよく見える
見えすぎちゃって困るほど見える
俺は存分にお釈迦様を拝観させていただいた
「やはり来てよかったな」
そしてこれも最高の「贅」であり、今回の俺の旅のテーマでもあるのだ
毎年のことながら俺はいい旅をする
自画自賛である
俺は西院伽藍の外に出た
ここが聖霊院
昔の僧坊、お坊さんの住居である
今はここに聖徳太子の尊像が安置されている
鎌倉時代の国宝の建物だが
ここで西院伽藍と夢殿の御朱印がもらえる
三経院 西室
聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈された『三経義疏』にちなんで付けられた名称で、西室の南端部を改造して建てらた
鎌倉時代の建物で国宝だがほとんどの人はスルーしていく
北西の端に少し小高い場所がある
西円堂
八角円堂だ
養老2年(718)に光明皇后の母、橘夫人の発願によって、行基菩薩が建立したという伝承があるそうだ
現在の建物は建長2年(1250)に再建されたもので国宝だ
堂内では中央に薬師如来が
東面には千手観音像、北面には不動明王像が安置されている
俺は順番に中を見て回った
北を覗いた
「おっ お不動さん」
顔はよく見えないが光背が確実に江戸だ
強風によって炎が煽られている
その炎をみれば時代がわかりやすいのが不動明王である
「法隆寺に江戸の仏像は結構珍しいな」
一般的に江戸時代といえば古いというイメージだが仏像の世界で江戸時代は
「かなり・・・新しいな・・」となるのだ
ここの隣に小さな小屋がありそこで西円堂の御朱印がもらえるので忘れないように注意が必要だ
西円堂から石段を降りて大宝蔵院を目指す
網封蔵
寺宝を保管するための蔵
この蔵は「双倉」といわれる様式の建物でもともと正倉院と同じ勅封の蔵であったが、諸寺を管理する「僧綱所」に蔵の開閉が委ねられたことから、網が封じるで網封蔵と呼ばれているそうだ
平安時代で国宝である
食堂
「しょくどう」ではなく「じきどう」と読む
まぁ用途としてはお坊さんが食事をする「しょくどう」なのだが
もともと政所という法隆寺の寺務所だったのが平安時代に入って、僧が食事をする食堂(じきどう)として使われるようになったそうだ
食堂の南側にある細殿と軒を接して建っていることから「双堂」とよばれる奈良時代の建築様式
奈良時代で国宝だ
食堂の裏に大宝蔵院がある
いわゆる宝物庫
ここの目玉は百済観音だ
その百済観音が安置されてる場所には「補陀落」の扁額が
補陀落とは観音菩薩が降臨するという伝説上の山である
このように外から見ても
「あそこに百済観音がおられるんだな」とわかるようになっている
おそらくあのドアから出入りして美術館や博物館へ移動する
大宝蔵院の中はお宝満載
「玉虫厨子か」
「そういえば学校で習ったな」
「ん?」
「この目の前のでかいやつが玉虫厨子?」
「こ、こんなにでかかったとは・・・」
おそらく小学生の時の俺も見てるはずだ
しかし全く記憶になかった
知らない間にUFOに連れ込まれて宇宙人に記憶を消されたのかも知れないな
次は夢殿へ向かう
結構雨が降ってきた
夢殿までも遠い
雨の中での移動は寒い
そして腹が減った
ここが夢殿の入り口
東院伽藍である
ここが夢殿
朝廷の信任厚かった高僧行信が宮跡の荒廃ぶりを嘆いて太子供養の伽藍の建立を発願
天平20年(748)に聖霊会を始行したとされる太子信仰の聖地だ
夢殿は東院の本堂
天平創建の建築だが鎌倉期の寛喜2年(1230)に大改造
高さや軒の出、組み物などが大きく改変
しかし古材から天平の姿に復元することもできるほど古様を残しているそうだ
奈良時代で国宝
絵殿と舎利殿
向かって右側が舎利殿で左側が絵殿
舎利殿は聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、「南無仏」と唱えたそうだが
その時の掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物
つまりこの中にお釈迦様の骨があり
その骨は2歳時の聖徳太子の手の中から出現したのだ
絵殿には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められている
鎌倉時代で重文
「最初から言ってくれよ」
俺は夢殿の御朱印は後回しにして
夢殿とつながっている中宮寺を目指した
尼寺である
中宮寺は聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺だ
国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)が本堂に祀られている
ここは多分車寄せだな
ここから偉い人が出入りするような気がするが、あくまで俺の憶測である
本堂はこのように池の中に立っている
本当に綺麗な姿で我々を迎え、そして助けてくれるのだ
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、右手を曲げて、その指先きをほのかに頬に触れんばかりの優美な造形
いかにも人間の救いをいかにせんと思惟される清純な気品をたたえている
また国際美術史学者間では、この像の顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価
エジプトのスフィンクス
と並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている
奈良に来たら絶対に見るべき仏像の一つだ
あとは日本最古の刺繍遺品として知られる「天寿国曼荼羅繍帳」も所有しているが劣化が激しく本物は奈良国立博物館に寄託してあり現在中宮寺に展示してあるのはレプリカである
御朱印をコンプリートした俺は法隆寺を後にして昼飯を食べに参道のお店を探した
雨が結構降っている
寒い
俺はガイドブックで見かけるうどん屋を見つけた
「志むら」
やはり関西に来たらうどんだな
ここは確か梅のうどんが有名だが、ずぶ濡れで凍えそうな俺は鍋焼きうどんにした
昼12時回っているが客は俺一人
後から3人入ってきたが
やはり法隆寺自体暇なんだな
鍋焼きうどん
揚げの裏には卵が隠れている
熱々で良い出汁が出ている
心も体もポカポカになる
さてどうするかな?
いかんせんこの雨だ
俺は店を出てバス停へと向かった
バスの本数は少ない
できることなら亀井勝一郎氏のように歩いていきた
でも雨だ
寒い
俺はここで英断した
また天気が良い時にこよう
俺は法隆寺駅行きのバスの時刻表を見た
「ダメダ、出た後だ」
俺は雨の中、JR法隆寺駅まで歩き出した
奈良駅に到着
荷物を出し、再びクソ重たいバックパックを背負う
「なんで一泊なのにこんなに重たいのか?」
自転車用のバックパックだしな
もっと軽いやつが欲しいな
俺はとりあえず京都を目指した
京都駅で下車して伊勢丹へと向かう
目指すは地下にある「とり松」
鯖のおぼろがたっぷり2段に入った「ばらずし」が俺の御目当てだ
すると見たことがない、ばらずしがある
青
どうやら紫蘇入りの爽やかな「ばらずし」らしい
値段は同じだ
俺は試しに青を購入した
電車バスを乗り継ぎ夕方には帰宅
夕食としてばらずしを食べた
ノーマルばらずしはグリンピースなところこちらは枝豆である
大人気の定番もいいが青も
やはり美味い
俺は今回の奈良冬の旅を総括しながら、ばらずしを食べた
予定通りとはいかない部分もあったが概ね満足な旅であった
また1年頑張らないとな
俺は2018年の奈良冬の旅を京都のばらずしで締めたのであった
終