鯖棒亭日乗(下)

日常の記録写真と駄文  sababoutei@gmail.com

高野山02

高野山02

昨日ブラタモリ高野山編第3弾が放送された

ようやくブラタモリらしい内容でガイドブックには出ていない情報が満載だった

高野山にたどり着くと不思議な感覚になる

険しい山を電車とケーブルカーで登ってきたにも関わらず突然目の前に街が広がる

無我夢中で歩いてるうちにそこが標高800メートルの山頂だということはすっかり忘れてしまうのだ

周りを見渡せば高野山より高い山達に囲まれている

結果的にあの環境が山頂にも関わらず水不足を解消してくれていたとは

そうなんだよな

よく考えてみたら高野山は山頂だ

しかし当たり前のように水を使っている

奥の院には紀ノ川が流れているがまだとても小さな川である

そしてあのメインストリートの下にも川が流れてたとは知らなかった

あとは地盤が泥岩な為、水が溜まりやすい

様々な奇跡が高野山を作り出していた

よくあんな場所を発見できたなと番組内でも仕切りにタモリさんが驚いてたが

空海さんは旅の途中で出会った狩人が連れていた黒と白の2匹の犬に導かれて高野山へたどり着いた

その犬を連れていたのが高野山の地主神、狩場明神

空海さんは山の中に在った神社で一泊した時に山の主である丹生都比売に会い高野山を貰い受けたのである

そして今でも高野山の壇上伽藍にはこの二人が祀られているのだ

もう一つがブラタモリでも紹介された飛行三鈷杵

空海さんが願いを込めて唐から投げた三鈷杵が壇上伽藍にある三鈷の松に引っかかってたという話

そして通常松の葉は2本だが、この三鈷の松の葉には3本になってる葉が存在するのだ

おそらく空海さんはこの松に引っかかった三鈷杵を見て確信したであろう

この場所こそが私の理想を実現できる場所だと

真言密教の聖地だと

これらが高野山発見の由来だと言われている

まさに神に教えられた聖地なのである

 

さて前回に引き続き空海さんの人生を簡単に振り返ってみよう

唐で師匠である恵果に出会い真言密教を伝授された空海はすぐに日本へ帰国する

ここにも様々な奇跡が絡んでいた

そして帰国時、唐を出発する時に投げたのが先ほどの三鈷杵なのだ

20年の留学期間をたった2年で帰ってきてしまった空海さん

死罪にも値する行為だ

その為にしばらく太宰府に滞在することとなる

そして時代は変わり嵯峨天皇が即位する

ともに書の天才

やがて二人は心の友になる

空海さんが持ち帰った密教の全てを学びたいという最澄さんも力を貸した

そしてついに空海さんは京都へ入ることが許されたのだ

ここからの空海さんは短い人生を一気に駆け抜けることとなる

師匠である恵果の言葉「1日も早く日本に密教を・・・」

空海さんはまず高雄山寺、現在の神護寺を貰い受けた

そこにスーパーエリートである最澄さんが訪ねてくる

最澄空海さんに弟子にして欲しいと私に密教を教えて欲しいと願いでる

日本仏教界の2大巨頭がついに出会った

唐に渡ったときは違う船だった為に顔は合わせていない

そんな運命の二人がついに京都の山の中で出会ったのだ

空海さんにしてみれば最澄の名は知っていたであろう

腐敗した奈良仏教に立ち向かう時の人

その最澄が弟子入りを願い出たのだ

空海さんは快く引き受けた

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神護寺は紅葉の名所である

しかし季節外れな時期は観光客もまばらで静かだ

日本の歴史上すごい場所に立った俺は震えが止まらない

空海最澄が生きた平安時代に思いを馳せた

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金堂へと上る階段

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金堂からの眺め

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建物こそ再建されてるがここは空海さんのお家だった

この場所で空海さんは暮らしていたのだ

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これは硯石

名前の通り空海さんが硯の代わりに使った石である

空海さんは神護寺にいた時に勅額の依頼を受けた

とあるお寺の額を書いて欲しいということである

しかしあいにく急な五月雨で橋が流されてしまった

困った空海さんは考えた

そしてこの石で墨をすり

対岸に立てかけれた額を目指して筆を投げつけたのだ

額には見事に文字が書かれたという

そんな伝説の残る石である

この高雄山寺、元神護寺空海さんと最澄さんは10年に渡り交流を続けたのであった

しかし才能のある二人

やがて意見が対立

バンドで言えば「音楽性の違い」みたいなものであろう

二人の間に少しづつ亀裂が広がっていった

最澄とて天台宗の開祖

現在の日本仏教の基礎を作り上げた男といっても過言ではない

比叡山へ帰れねば」

忙しい最澄さんはこれ以上比叡を空けられない

そこで空海さんに申し出たのだ

理趣経を貸して欲しい」と

理趣経とは真言密教の中心となる大切なお経である

そしてその理趣経にはSEXのことが書かれているのだ

真言密教とはお経を読むだけでは決して理解できない

特にこの理趣経は危険だ

解釈を間違えてしまえば大変なことになる

「あなたには貸せません」

そして空海さんは最澄さんの願いを断るのだ

最澄さんは自分の代わりに弟子の泰範を空海さんに預けて自分は比叡山へと戻ったのだった

やがて最澄は泰範を呼び戻そうとする

しかし泰範は最澄の申し出を断るのだ

弟子が師匠の命令に背いた

泰範はこのまま空海の元で真言密教を学びたかったのだった

最澄にとって泰範は自らの後継者として考えてるほどかわいいかわいい1番弟子だ

その泰範を空海に取られたことにより空海さんと最澄さんは完全に決別したのであった

813年、こうして二人は別々の道を歩むことになる

真言密教はひたすら密教一筋

天台宗はあらゆる教えを取り込んだ「全部のせ」

仏教の総合大学となった

そして817年ついに空海高野山に着手することとなった

その後の空海さんは数多くの書を書く

これらは角川ソフィア文庫から現代語訳が出ているが非常に難解だ

 

 そして最澄さんとの決別の原因になった理趣経

 

理趣経 (中公文庫BIBLIO)

理趣経 (中公文庫BIBLIO)

 
図説「理趣経」入門

図説「理趣経」入門

 

 どちらも非常にわかりやすく書かれているがそれでも難解だ

上の松長有慶さんは先代の高野山トップの人

松長さんの話は面白く本もわかりやすく書かれている

下の大栗道栄さんの方はより砕いた感じで書いてあるのが特徴だ

 

次に空海さんは土木工事を受け持つこととなる

地元香川県にある満濃池の護岸工事

長年水害に苦しめられてきた満濃池

空海さんは当時の最新技術であるアーチ型の堤防を作り上げたのだ

工事は見事に成功

土木でも天才的な才能を発揮したのであった

そして823年

空海さんは東寺を預かることとなり東寺を真言密教の道場としたのであった

立体曼荼羅

まさに曼荼羅を体感できる素晴らしいお寺だ

このことから真言密教は「東密」と呼ばれ天台宗は「台密」と呼ばれ区別されている

831年空海さんは病を患う

832年空海さんは高野山にて最初の万燈万華会を開く

願文に「虚空盡き、衆生盡き、涅槃盡きなば、我が願いも盡きなん」と想いを表し、高野山で隠棲、穀物を断つ

834年空海さんは東大寺真言院にて法華経と般若心経秘鍵の講演を行った

実は空海さんは東大寺のトップも勤めていたのである

東大寺の四月堂には小さな空海さんの木造が祀られてるが知るものは少ない

 

空海「般若心経秘鍵」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

空海「般若心経秘鍵」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

 

 これが般若心経秘鍵である

空海さんの考える般若心経の解釈だ

晩年に書かれたこの書は空海思想の集大成だと言われている

 

835年

3月15日、空海さんは弟子たちに遺告を与えた

3月21日 空海さんは高野山奥の院にて入滅 享年62歳

しかし今でも空海さんは高野山奥の院にて生きているだ

生きて我々のためにお祈りを捧げてくれている

そのために毎日2回ご飯も運ばれて1年に一回入滅された3月21日に空海さんの衣を交換する

この時に着替えられた古い衣は細かく裁断されて4月ぐらいから高野山奥の院にて「御衣切」として全ての願いを叶えるお守りとして販売されている

持っているだけでも凄いお守りだが

さらに凄い効果が得られる

使い方は縦糸と横糸を取り出して「南無大師遍照金剛」と7回唱え、煎じ、飲む

心から空海さんを信じて願う

そうすればどんな願いも叶う

たとえ不治の病であっても