鯖棒亭日乗(下)

日常の記録写真と駄文  sababoutei@gmail.com

高野山のお坊さんが外人観光客に対して怒りのコメント投稿

高野山

高野山真言宗の総本山である

そして聖地でありながら観光地化されているのはどこの国でもどこの宗教でも同じことかもしれない

今回の問題にの根本にあるのはネット社会

様々な情報を入手できて自宅いながら世界中の人と繋がれるネットは非常に便利で今では生活にはなくてならないもののひとつだろう

昨日は俺のインスタにサイクルロードレースチームのUAEの監督さんからフォローがあった

ネットがなければ全く繋がることすらない関係である

そんなネット社会

飲食やホテルや各商品など購入した人や利用した人が好き勝手に書くレビューがある

食べログ、アマゾン、じゃらんなど

今回の怒りもそんな宿泊予約サイトに関する問題だ

高野山にはホテルはない

そのために宿坊というお寺に泊めてもらうシステムが確立されている

昔は各戦国大名もお寺に宿泊したものである

そして宿坊は決して旅館やホテルではない

最近では至れり尽くせりの対応をしてくれるために勘違いしがちだが本来は修行の場でもあるのだ

出される料理は当然精進料理

しかし高野山の精進料理はレベルが高い

各お寺工夫を凝らし最大限のおもてなしを提供してくれる

それでも外人観光客に対しては伝わりにくい部分もあるのだろう

お坊さんの対応がそっけないとか

食事が質素な野菜料理だとか

朝風呂に入れないとか

宿坊と言うものをよく理解しないで好き勝手なことをネット上に書かれてしまっているのだ

これに怒ったのが高野山のお坊さん

木村ダニエルさんだ

木村ダニエルさんは父親の影響で15年前に出家したそうだ

木村ダニエルさんは様々なレビューに対してこう返信した

「なぜ、フレンドリーにしなければならないんだ??君たちは何のためにここに来ているんだ??」

「日本では朝ではなく、1日の仕事を終えた夕方に風呂に入る。少しは勉強しろ」

などと怒りのコメントを返した

木村ダニエルさん自身あの時はストレスが溜まっていたと反省のコメントも出している

お坊さんである以上怒りの感情は抑えなければならない

そしてその感情が持つ力を変化させ仏道への求心力として利用していくのが正しいことだろう

俺が思うにお互いがお互いにダメだな

一番ダメなのはレビューなんか作り出したネットかもしれないが

軽い気持ちで書かれたことが人を苦しめてしまうことはよくあることだろう

木村ダニエルさんは高野山の赤松院で修行している

1000年以上の歴史があり外人観光客の受け入れにも積極的なお寺だ

テレビで見た限りでは部屋にトイレ風呂が完備されるなど他の宿坊に比べてかなり恵まれた環境である

それでもホテルに比べるとやはりそこは見劣りする部分が多い

そもそも宿坊はホテルでも旅館でもないからだが

ダニエルさんは

「寺ということを分からない状態で、完全にホテルだと思っています。少しはどういったところかを知るべきではないかと思うんです。その時は自分も少しストレスを抱えていた…」と打ち明けたそうだ

これもやはり外人向けのガイドブックが正しいことを書いていない可能性もあるだろうし

日本人ですら単なる観光地としか思っていない人も多いはずだ

真言宗なに?

空海だれ?

そんな日本人も多いはずである

高野山自体が観光地化されてしまってる以上はある程度は仕方がないこと

その上でお坊さんは怒るのではなく優しく丁寧に説明するべきなんだと思う

今一度「お大師様ならどうするのだろう?」ということを考えてみるべきである

俺も高野山へは2度訪れている

6年前ぐらいか

あの頃も外人さんは多かったが今ではあの頃の2・5倍になってるそうだ

そのために高野山というものを良く知らないで観光にきてる外人さんも増えたのだろう

以前は日本人より外人の方が正しく高野山を回ってくれると言われていたぐらいだ

日本人は観光バスでやって来てメインどころの壇上伽藍、金剛峰寺、奥の院を慌ただしく見て観光バスで帰っていくが外人さんはまず大門へ行きそこから歩いて高野山を回ってくれるのだ

俺も大門から歩いたが歩いていたのはほとんど外人さんだった

そして夜でも日本の家族連れは大声を出して夜中まで騒ぐ人たちがいる

外人さんは写経を行い阿字観という瞑想をして思いっきり日本の仏教という文化に触れようとしていた

結局は外人だからというわけではない

そして日本人だからというわけでもないのだ

高野山を訪れた人は何かしらの理由で空海さんに呼ばれたからだと言われている

みんな何か理由があるはずなのだ

レビューで酷評を書く外人さんも

いつかきっと分かるはずなのだ

なぜあの時に高野山へ行ったのかを

 

何もわからない外人さんに対して高野山側もわかりやすい案内をしてあげるのも大事な事だと思う

精進料理しかり朝のお勤めしかり

お寺はホテルではないとう事

「泊まってやる」ではなく「泊まらせて頂きます」という気持ち

その感謝の気持ちを朝のお勤めの時にご本尊へ伝えるのだ

「ありがとうございます」

そうやって少しでも仏教に真言宗に触れてもらう

これが大事な事

お大師様もそう願っているだろうな

 

 

 

 

しかし暑い

お盆までもう少し

仕事も終われるかどうかの瀬戸際だ

早く休みに入りたい

しかし仕事が終わらない

お盆はどこか行きたいな

誰か植物の世話してくれないかな