鯖棒亭日乗(下)

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富岡八幡宮の門前町、初詣客がどれだけ減るのか不安

神社のお家騒動が殺人事件にまで発展してしまった富岡八幡宮

年末年始の神事も無事執り行うとの発表があった

神社自体はそうやら現在も普通に参拝できるようではある

興味本位で訪れる人が多いせいか客足は事件前と同じだという

しかし正月はもうすぐ

1年で1番神社仏閣が賑わう初詣が控えている

周辺の商店街も年末年始は稼ぎどきである

富岡八幡宮門前町「深川仲町通り商店街」

永代通り沿いの約800メートルに130店舗以上が店を構えるそうだ

おそらく年末年始には屋台なんかも出るのだろう

それを目当てにやってくる参拝客も多いことだろう

しかし来年の初詣はどうだろうか?

人は忘れる生き物だというが流石に三週間ほどでは忘れることはない

そして事件は境内で起きている

そして神道において「死」は穢れである

もっとも忌み嫌われることが境内で起きた

しかも病死ではなく殺人事件

それも怨霊になるとまで思いつめた怨恨殺人である

弟が姉を、元宮司が現宮司

全くもって前代未聞だろう

商店街の理事長さんも事件について「本当に信仰心のある人は迷惑していると思う」と語ったそうだ

確かに自分の氏子の神社でこんな事件が起きたらどうするだろう?

そう考えてみるが結論は出ない

今後本当に参拝していいものなのか?

そもそも神社に対しての不信感もいっぱいだろう

神道として許されるのか?

我々は家族の中から死人が出た時に神棚を忌明けまで封印するのに

神様を穢れさせないようにと、そして

神社境内への進入
祭礼行事への参加
結婚式・祝賀会等、祝い事の参列・主催
行楽・旅行
家の新築・増改築・大きな買い物などを控えるのだ

神棚は神社から分霊していただいたお札を自宅にて祀る

個人所有のマイ神社である

同じ敷地内に住み毎日神様のお世話をしてきた宮司さんが境内で死んだ

このことは穢れになる

しかも今回は怨恨による兄弟でもあり元宮司と現宮司の争いである

完全に神社に関係した理由で死は起きている

八幡神の目の前で

穢れは起きているのだ

俺が思うにはこの時点でなるべく早く本殿を白い布で覆い神様を忌明けの50日まで封印するのが本当なんじゃないかと思ってしまうが

その上できちんとお祓いをする

そして小さな祠でも作り怨念を鎮めるのだ

確か神道では死んだ人は神様として祀るはずである

故人を守護神として永年に自宅にて祀るのだ

その考えからいえば富岡家の人間は富岡八幡宮の守護神となるのではないか?

俺は神道のことはよく知らないのでこれらの考えは間違っているのかもしれない

神社だけはそんなこと関係なく通常営業が許されるのかもしれない

しかし少なくとも何らかのことを行わなければ今後の富岡八幡宮を信頼できないのでは?

そもそもあんな事件が起きてもまだ神様は滞在してくださってるのかさえ不透明だ

ほとんどの日本人は初詣をイベントとしてお参りするだけだ

普段から氏神様を大切にすることなく年一度だけ初詣と称して大きな神社へ行き適当にお参りをするだけである

形だけの参拝、恒例行事、みんなやるから、暇だから様々な理由で我々は初詣へ行く

そしてその神社にどんな神様が祀られているのかも知らないまま自分勝手なお願い事を大量にお願いするだけなのだ

自分の名前と住所も告げずに

神様は思うのだ「あいつ誰や?」

なるべくたくさんのお賽銭をあげれば必ず願いを叶えてもらえると勘違いしてる人もいるだろう。そのお金は宮司のキャバクラ代に消えてるのかもしれない

御神木をベタベタと触りパワーを貰うとか言う人もいるだろう

果たしてその手はきちんと清められてるのだろうか?御神木は触られたがってるのだろうか?神様に触れても許されるのだろうか?

御神木の幹に5円玉など硬貨を挟む人もいるだろう

御神木にしてみれば無理やり自分の体に硬貨をねじ込まれる非常に迷惑な行為だ

そしておそらくそのお金はお賽銭ではなく単なる落し物扱いになるはず

お賽銭はお賽銭箱に入れるべきだ

まぁ本当に神様に渡したいのなら海の幸、山の幸、米、酒なんかを奉納したほうがいいのだろうな

昔はお賽銭ではなく米を白い紙に包んだ「おひねり」として奉納したという

そして現在でも昔のように米を奉納する人もいるが神社本庁的には「現金」のほうがありがたいらしい

個人的には神様は現金より米のほうがお喜びになられると思う

あとはお賽銭の入れ方だな

遠くからお賽銭を勢いよく投げ入れる人が多いが、本当はアレもダメな行為

お賽銭はなるべく静かにそっと賽銭箱にいれるものである

商店街の理事長はさらに語る

石島理事長は「総代の幹部などで相談しているとは思うが、神社が今後どうなるのか分からない」と

氏子から見放されたら神社はおしまいだ

神様も愛想をつかしてしまうかもしれない

たとえ今まで通り神社が運営されてもからっぽの本殿にお参りすることになるのかもしれない

分霊されていないお札やお守りを買うだけかもしれない

とにかく今の富岡八幡宮は穢れている状態だ

あれほどまでの自分勝手な怨念で穢れた神域を果たして元通りにできるのだろうか?

今回の事件で神道自体に不信感を抱いた人も多いだろう

仏教に対しても不信感だらけな上に神道までも信じられなくなったらどうすればいいのか?

日本は神様によって作られた国である

神様を否定することは日本そのものを否定することなのだ

 

毎年30万人とも言われる富岡八幡宮の初詣客

確かなことは来年は確実に減るだろうと言うことだ