鯖棒亭日乗(下)

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名古屋城の木造復元、石垣保存のため完成が遅れるかも

名古屋城木造復元

石垣保存については文化庁から「保全目的でなければ石垣の調査は許可できない」と言われていたのは知っていたが

当然その通りの工程を竹中が出してるもんだと思っていたがどうやら違うみたいだ

名古屋市としては全て同時進行

石垣の調査と解体を同時進行

それと同時に木材の刻みもやるはずだ

それも全ては2022年の12月までに完成させるためである

そこで名古屋市竹中工務店は考えた

石垣については、とりあえず調査だけしといて天守閣を復元させてからやると

しかし文化庁から「ちょっと待った!」がかかったのだ

そりゃそうだろ

全くの素人考えだが建物がない状態の時の方が基礎である石垣は修繕しやすいはずだ

何事もまずは足元を固めてから始めるべきである

「石橋は叩きすぎて壊れるぐらいに叩いてから渡るべし」というのが俺の持論でもある

まぁ叩きすぎて壊れたら元も子もないのだが

文化庁的には「みゃぁみゃぁ言う前に、まずちゃんと石垣を調査して保全してから天守閣建てましょうよ」と言うこと

お役所なのに随分まともなこと言ってるなぁと感心させられる

そして今回専門家が名古屋市に対して同じような結論になり「現在の工程は文化財保護の観点から成り立たない」と計画の見直しを求めたのだ

「慌てる乞食は貰いが少ない」

俺が子供の頃に親や先生からよく言われたことわざである

慌てちゃダメなのだ

俺の高校時代の友達は初体験の時に慌ててしまい「そこじゃない」と言われたそうだが

そもそも名古屋城の石垣は国の特別史跡である

持ち主の名古屋市といえども勝手な真似はできないのだ

弱虫ペダルの京都伏見高校の石垣くんが御堂筋くんに逆らえないのと同じように

「長い物には巻かれろ」

これが世の中をうまく渡り歩くコツである

名古屋城の石垣

俺は噂でコンクリで補修してあるようなことを聞いていたのだが

どうやら本当に補修してあるらしい

国宝だった天守が戦争で燃えてしまい、コンクリブームの昭和にコンクリで再建

その時に石垣も便利なコンクリートで補修をしていたのだ

今から思えば昭和という時代は古いものをひたすら壊してきた時代

新しいものへの憧れが強かった時代である

お城も当然木造なんて古くてけち臭いものより硬くて燃えない鉄筋コンクリートを選択したのだ

この辺りは消防法の関係もあっただろうが

あの時代は融通が聞かなかった可能性もある

とにかく古いものには見向きもしなかった

そんな名古屋城

尾張名古屋は城で持つと言われるように世界中のどこに出しても恥ずかしくない立派なコンクリ製

しかもエレベーターまで完備したのだ

しかし時代は平成

急激に古いものが懐かしくなり保全しようという動きが出てきた

明治から昭和までひたすら破壊し尽くしてきた日本の文化財

ブラタモリなどの番組で古い物の痕跡を探すのも一役買っているのではないだろうか

神社仏閣も大規模修繕ラッシュに再建ラッシュ

そんな平成だからこそ石垣をコンクリで修繕したのが我慢できない

こ、これでは文化財として認めることはできない!と叫びたいぐらいに我慢できない

そこでちょうどいい具合に天守閣再建計画が持ち上がり

これはいい機会だからちゃんと石垣治しましょうよということなのだが、名古屋市がやたらと慌てている

完成なんか送らせてもいいから、ちゃんとしたものを作ればいいのに

奈良大学の教授は語る

「木造復元ありきでなくて、まずは国の特別史跡として最も守らなければいけない石垣をしっかり調べて、次の世代に残せるように保全措置をとって、その先にどう活用するかという議論があるべき。(今の計画は)国の特別史跡の活用計画として、非常にまずいのではないか」

全くその通りである

しかし名古屋市には名古屋市の面子がある

「現在の工程をベースに考えながら検討したい」とあくまで2022年12月の天守閣木造復元へのこだわりを捨てきれないようだ

柴田恭兵は「男なんて弱くて愚かだから、こだわる物なしに生きてはいけない」と歌ったが、このままでは名古屋市は横浜DAYBREAKではなく名古屋DAYBREAKになってしまうのだ

 

「よせばいいのに、あの頃見ていた夢、今でも抱きしめたまま、ダメだね・・・」と

 


柴田恭平 横浜Day break