目安箱
先日放送のドラマ版釣りバカ日誌でもやっていた
社長であるスーさんが社員から意見を聞くために会社に設置するも社長に対するクレームばかりで機嫌が悪くなるスーさん
そこで役員たちは必死に社長を持ち上げる投書を偽装していた
今回発見されたのは明治新政府が設置したと思われる目安箱の中身
明治新政府は徳川幕府と同じように同年2月から全国初となる目安箱を京都の三条大橋西詰めに設置した
その後、東京や大阪にも広がっていくこととなるのだが、今回発見されたのは京都の目安箱である
目安箱に投書された訴状の原本34通が京都市内で見つかったのだ
訴状は慶応4・明治元年(1868)年を示す「戊辰歳」と目安箱への訴えを指す「箱訴」の文字が書かれた冊子にとじられていたそうで、それらの投書には同年6月~12月の日付が書いてあった
「九冊之内」という記述があ流そうで、どうやら9冊あったうちの1冊とみられる
幕末の動乱、荒廃した街、そして復興、物価高騰を案じる民衆の切実な声がつづられているその中身とは?
訴状の内容は、荒れた街の復興を求める声、新政府の紙幣・太政官札の発行に伴う物価高騰への苦情、学校・住宅建設の要望などが書いてあったという
他には「京都府」という呼称が良くないので「平安府」にしてはどうかという提案など多岐にわたるそうだ
面白いところでは「僧侶のぜいたくを制限せよ」「新政府の役人たちが酒や女色にふけっている」といった告発系
やはり既に日本仏教は堕落していたみたいであるし、今も昔もお役人さんは女好きなんだな
明治時代だと永井荷風、谷崎潤一郎、林芙美子などの小説に出てくるようなカフェーが出会い系バーの役割をしてたのだろうか?
おそらくお役人たちも女給を口説いてたんだろうな
あの頃のカフェはいわゆる風俗営業
美人を集めた女給さんたちがお客に対して自らの体を密着させるように接客していたという
その風俗であるカフェと分けるために純喫茶が生まれたらしい
純粋にコーヒーを楽しむ喫茶店で純喫茶
今となってはとても懐かしい響きである
ちなみに昭和のお役人はノーパン喫茶だったな
多い時には800店舗もあったというから驚きだ
今も昔も日本男児の性への探求には本当に脱帽させられる
話を目安箱に戻すと
これらは古文書研究で知られる国際日本文化研究センターの磯田道史・准教授(46が5月下旬に京都市内の古書店で見つけたそうだ
磯田准教授は「明治維新という革命直後の民衆の肉声が聞こえてくるようだ。これまで明治維新は志士や政治家の分析が目立ち、住民の視点からの研究が欠けていた面があった。維新史の空白を埋める貴重な史料だ」と話しているという
まさに当時の人たちの本音が書かれた目安箱
滅多に発見されるものではないだけに非常に貴重だ
できることなら大量発見の元に書籍化して欲しかったな
今のところ34通か
当時の情勢など加えて本にできないだろうか?
是非とも読んでみたい
日本が1番動いた幕末から明治
俺は、まだまだ勉強不足で知らないことも多いが今一番興味のある時代である
でもまだつい最近のことなんだよな
ちなみに家の廊下や床の間に使用されてるケヤキの板は幕末の古民家からもらってきた奴
毎日毎日歩くたびに感慨深く思うのであった
目安箱ではないが小学六年生の時に俺は放送委員をやっていた
主な仕事は給食時間に音楽を流したりすることである
それまでは学校に置いてあるレコードしかかけることができなかった
子供心にも非常につまんない曲ばかり
そんな俺は当時どうしても「燃えよドラゴンズ」がかけたくて考えたのだ
「リクエストBOXを作ればいいのでは?」と
俺は早速当時の担任に相談した
一発OKである
ちなみに当時の担任の先生は大学を出たばかりで俺たちが初の担任
京都奈良への修学旅行の時に知り合った奈良の旅館の若旦那と結婚して旅館の女将となった
人生ってどうなるのか分からないものである
そんな担任の先生が他の先生に掛け合ってくれて職員会議を経て正式にリクエストBOXが置かれることとなった
俺は毎日毎日何枚も何枚も自分で燃えよドラゴンズのリクエストを書いた
レコードは当然俺が家から持参した奴である
そして毎日のように給食時間に燃えよドラゴンズが流れて教室では大合唱
1番田尾が塁に出て
2番平野が送りバント
3番モッカがタイムリー
4番矢沢がホームラン
いいぞがんばれドラゴンズ、燃えよドラゴンズ
そして放送委員だった俺は当然のことながら女子のリクエストは完全無視したのであった
全ては「燃えよドラゴンズ」のために
あのリクエストBOXってまだあるのだろうか?
後輩たちに受け継がれてるといいな