ミケーレ・スカルポーニが死んだ
練習中の事故死という事だが・・・
先ほどふと今日のリエージュの情報を仕入れようと自転車関連のサイトを見てみたら、目を疑う記事が載っていた
今でもまだ信じられない
スカルポーニが死んだなんて
ジロ100回記念の今年のジロは怪我のアルに変わってエースとして走るはずだった
かつてジロを制した男が再びエースとしてジロを走るはずだったのに
既に彼はこの世にはいないのだ
スカルポーニはツアー・オブ・アルプスを総合4位で走り終えてチームのマッサージャーと一緒に車で450キロ離れた自宅まで帰って来た
そして一晩家族と過ごし、彼が死ぬ15時間前にはツアーオブアルプスのリーダージャージを着せた双子の息子とともに写した写真をインスタグラムに載せていた
まさかこの翌日に死んでしまうなんて・・・
翌日の4月22日にスカルポーニは自宅から軽い練習のために走り出した
午前8時5分
自宅の近くのインドゥストリア通りの交差点で事故は起きた
何回も何回も走り慣れた交差点であろう
下りを走行中のスカルポーニは57歳の男性が運転する大型のバンと正面衝突
周囲の人が直ぐに救急へ通報
数分後には救急車と救急ヘリが到着したが既にスカルポーニは・・・
即死だったそうだ
事故の原因は車の運転手の前方不注意
まったくスカルポーニに気づいていなかったという
現在所属のアスタナは「書くことをはばかる大きな悲劇が起こってしまった」とプレスリリースを発表した
「大きなショックを受けている。我々チームのメンバー全員や彼の家族、友人、同僚たちが深い悲しみに包まれている。ミケーレ・スカルポーニは偉大なチャンピオンだった。多大なる損失であり、この苦しみを表現する言葉が見つからない。アスタナチームの代表として、ミケーレの家族と友人たちに哀悼の意を表したい」とチームを代表して追悼のコメントをした
いつもニコニコしていたスカルポーニ
優しそうなおじさんで大好きな選手だった
俺がスカルポーニを初めて見た時はアンドローニジョカトリだった
その後2011年にランプレへと移籍
その年のジロで総合2位に入るが総合優勝のコンタドールがドーピングで失格となりスカルポーニは2011年のジロチャンピオンとなった
彼はジロには11回出場、2010年、2012年、2013年には総合4位の成績を残している
クライマーの彼はリエージュ〜バストーニュ〜リエージュでも4回トップ10フィニッシュ(2003年の4位が最高位)
イル・ロンバルディアでは2010年に2位に入っている
アスタナに移籍してからはニバリの強力な山岳アシストとして大活躍
ニバリは2014年のツール・ド・フランスを制した
ニバリは「何を言えばいいのか、何をすればいいのか分からない。言葉が出てこないよミケーレ」とコメント
アルは「悲劇は終わらない。言葉が存在しない。安らかに眠ってほしい」とTwitterに書き込んだ
今日は朝からリエージュモード、ブログは園芸日記を書く予定だったのだが
なんか全てが吹っ飛んでしまった
こうやってブログを書いていてもまだ信じられない
もうあの山岳での力強い走りと彼の笑顔が見れないなんて
ミケーレ・スカルポーニ 享年37歳
安らかに眠って下さい
俺はあなたの笑顔を忘れない
Michele Scarponi, you are in our hearts...