鯖棒亭日乗(下)

日常の記録写真と駄文  sababoutei@gmail.com

御朱印の転売はダメ

京都の「粟田神社」にて御朱印についての張り紙が出された

最近は御朱印ガールなどと言われ巷では御朱印が人気である

俺自身も参拝したお寺で御朱印を頂いている

俺の場合はお寺だけではあるが

そもそも御朱印とは神社仏閣に参拝した証明書みたいなものである

お寺の場合は納経所と言う場所で御朱印を頂く

読んで字のごとく「お経を納める」

つまりお寺では般若心経などの写経を納めたりお堂の前でお経を唱えたりすることで納経するのである

これが神社だと参拝になるのかな?

俺は神社で御朱印を頂いたことが無いのでシステムは良く知らないが

一般的な神社なら2礼2拍手1礼をして御朱印を頂くことになるのだと思う

正直御朱印はかっこいい

俺が御朱印を貰ってるところを観光客の人が見ていて

「私も欲しい〜」となって御朱印帳を購入する人もかなりいるほどだ

黒と赤のコントラスト

時には力強く時には優しく

毛筆で書かれた個性ある墨の文字に朱色の判子が映えるのだ

お寺だとご本尊やそのお寺の特徴となる言葉が書かれる

枯山水の庭で有名な京都の龍安寺なら「石庭」と書かれるように

そして期間限定御朱印なるものも存在するのだ

御朱印帖も実に様々なものがあり女子心をくすぐる物も多い

そして御朱印帳にも限定商品がたくさん作られている

そんな御朱印だが

やはり需要があれば供給して商売にしようとする人達が出てくる

以前から四国遍路などでは完全に商売として車で御朱印を集める為に回る人達が存在していたが、ついに神社系の御朱印まで集めてネットなどで売りさばくひとがでてきたみたいなのだ

いわゆる「転売屋、代行屋」と呼ばれる人達

この人達は大量の御朱印帖も持参して参拝することも無く御朱印だけ集めて回る

そしてそんな神や仏と縁を結ぶこと無く集められた御朱印帳を買い求める人達がいるのだ

単なるコレクターズアイテムとして

これが限定づくしなら高価になるのであろう

四国遍路などでは御朱印帳を盗まれることもあると聞くし

今回張り紙を出した粟田神社宮司の佐々木さんは言う

「御朱印帳を何冊も持ち込んだり、書き置きの御朱印を何枚も求める、あるいは「何枚までならOKか?」と逆に聞いてきたりするとうな怪しい人が以前から絶えなかったそうです。転売目的なのは明らかですが、これでは信仰の証であるはずの御朱印もただの商品でしかありません

「それは趣旨が違うだろう」ということです。

まぁこんな転売などを商売にしてる人は神仏は信じていない人

なので何を言っても聞く耳は持たない

だから購入する人に対して御朱印とはどういうものなのかを分かって欲しいそうだ

「御朱印はスタンプラリー」だと言う感覚で集めている日も多いはず

お遍路なんかは御朱印を集めることでモチベーションを保ってる部分も正直あるのだ

しかし俺は別にスタンプラリーでも構わないと思っている

事実、粟田神社の佐々木さんも同じ考えだ

結局は神社やお寺にちゃんと足を運んで参拝することが大事なのである

そして御朱印を頂くことによりお布施にもなる

せっかく御朱印帖を買ったんだから他の神社にも行ってみようと言うことになり

そして少なくともなんらかの経済的な効果も生まれてくる

良いこと尽くしなのである

神社やお寺に興味を持ち本など購入して勉強してみる

すると実にいろいろなことが分かって来てよりいっそう神社仏閣巡りが楽しくなるのだ

 

俺が御朱印を集め始めたのは知多半島を一週するお遍路をした時である

わずか200キロ程度の距離だが歩いて回った

八十八カ所の札所に加えて番外寺もある

ひとつひとつのお寺で本堂と大師堂へ参る

真言を唱えて般若心経を唱える

その他にもいくつか唱える経はあるのだが

それらを全て唱えてから納経所にて御朱印を頂くのである

「ようお参りくださいました」

時にはお茶やお菓子のお接待も受ける

だんだんと自分の心も穏やかになっていくのだ

そんな中でやはり大量の御朱印を持ち込む人も少なくは無い

先ほどの転売、代行の人達だ

彼らは平気で割り込みをする

俺も御朱印の順番待ちの時に割り込みをされた

でも俺は怒らない

お遍路をしていると不思議とそんな些細なことはどうでも良いと思えて来るのだ

しかしお寺の人はちゃんと見ていてくれて

割り込みする転売屋代行屋にたいしてやんわりと注意をしてくれるのだ

俺がこの場で「割り込むんじゃねえ」と怒ってしまえば、それはまだまだ修行が足らない証拠になってしまう

自分を犠牲にして他人に尽くす

これは仏教の基本となる教えである

自分は他人の為に犠牲になるが結局は誰かが自分の為に尽くしてくれる

そうやって世界はうまく回って行くのである

そう考えれば割り込みの一つや二つはどうってことないのだ

まずは相手の立場になって物事を考えること

これは社会においても大事なことなのである

そんなことをお遍路は俺に教えてくれたのだ

そしてその証明書と言うか参拝記念として俺は御朱印集めをスタートさせた

まぁお遍路の場合はどこまで回ったか分からなくなるのもあるが

 

俺の御朱印帳は3冊ある

1冊はお遍路専用

後の2冊はまずは俺の大好きな東寺で購入してスタートさせた

そして俺は自分の中でルールを決めている

次の御朱印帳は現在使用している御朱印帳がいっぱいになった時に訪れているお寺で購入しようと

なので2冊目は京都の南禅寺で購入した。通常よりも一回り大きく値段も少々高かったが

今はこの南禅寺さんで購入した御朱印帳を使っているのだ

すこし大きいので俺が今持っている金襴緞子の御朱印袋に横向きで入らないのが困るのだが

まぁ仕方が無い

多少カバンの中でスペースを占領するだけである

こうなってくるとやはり御朱印集めがひとつの趣味みたいになって、俺はすっかり御朱印おっさんとなってしまう

御朱印が欲しいからあのお寺へ行こう

スタンプラリー的な思いが出てくる

事実として今年もそれで清水寺へ数十年ぶりに参拝して来た

でも俺はちゃんとお参りするのだ

般若心経を声出して読むのは流石に清水寺では恥ずかしいので心の中で唱えさせてもらったが、でも本当は声出して唱えないとな

お遍路の時なら平気で出来たのだが

そして今は清水寺は改修工事に入った

今から思えば正月に参拝しておいて良かった思うのである

これもなんらかの仏様とのご縁かもしれない

清水寺は千手観音だな

やはり自分の足で神社仏閣を訪れてちゃんと参拝して御朱印を頂くこと

これが大事なことでなのである

でも病気で歩けない人の代わりに神社仏閣で参拝してあげて御朱印を貰うのは個人的には問題ないと思う

そこに金銭のやり取りが無い限りは

それをビジネスにしては行けないのである

 

ちなみにお守りやお札に関しては代行で購入するのは問題は無いと思う

町内の氏子でも代表の人がお札をまとめて購入して配って回るし

お守りは持ち歩ける神仏であり

お札は自宅に設置する神社仏閣となるからだ

お守りは持ち歩くことで、お札は毎日のようにお参りすることで神仏とのご縁を持つことが出来るからである

これらに関しては自ら足を運ばなくても大丈夫だと俺は思う

俺の財布なんか曼荼羅状態だからな

大日如来を中心にして財布の中に宇宙が形成されている

そしてあらゆる仏様が俺を守ってくれているのだ

「流石に財布の中DE曼荼羅はちょっとぉ」と言う人

なにか一つだけが良いなぁと言うのなら

生まれ年によって「守護仏」が存在する

自分の干支で決まるのだがその自分の守護仏を持ち歩くのが俺のおすすめである

 

子年    千手観音菩薩

丑、寅年  虚空蔵菩薩

卯年    文殊菩薩

辰、巳年  普賢菩薩

午年    勢至菩薩

未、申年  大日如来

酉年    不動明王

戌、亥年  阿弥陀如来

 

これが守護仏のリストである

自分だけのマイ仏を持ち歩く

カード形など持ち歩きやすいものがお寺で売られているので

おすすめである

 

 

幸福の科学

いったいどんな教えなのか調べているがさっぱり分からない

大川隆法氏はブッダの生まれ変わりだと言うが・・・・

ちなみにブッダは輪廻転生を否定し修行して覚りを開いた

結果的に苦行から覚った訳では無いが、ある意味苦行したからこそ覚りを開くことが出来たとも言える

これはレインボーマンも同じだが

彼もまた途中で苦行を投げ出してレインボーマンになったのである

まぁ完全にお釈迦様の真似をしてるわけだが

子供の俺はそんなことは知る由も無かった

師匠にたいして「修行がツライです」と訴えるレインボーマンになろうとしている男

それにたいして師匠はなんと!「じゃ修行はもう良い」みたいな事を言うのだ

子供心に「な、なんでだ??」と思った物である

お釈迦様は覚りを開いた

菩提樹の木の下で

そしてその瞬間から金色に輝いた

なのでお釈迦様はもう2度と生まれ変わらないはずなのだ

それなのに・・・・

ん〜わからない

タコみたいなことをやってるみたいだが

ちょっと興味が出たのでもっと調べてみよう

 

そして御朱印はちゃんと自ら神社仏閣へと出向き

ちゃんと参拝して神様仏様とのご縁を結んでから「御朱印GETだぜ!!」が望ましい

御朱印の転売や代行とは関わらないようにしようというお話である