今日は昼に大好物の銀だらの幽庵焼きを食べて来た
それはもうとても至福なひとときであったが肝心の写真がお見せ出来ないのである
普段はオリンパスのXZ-1というコンパクトを使用しているのだが
これがまた意図せずにモードダイヤルが動いてしまうのだ
そして俺はマニュアルモードになっているのを気づかずに撮った
当然のことながら露出はむちゃくちゃの大失敗なのだ
なぜこのような悲劇が起こるのか?
俺は常に適当に撮るからである
これは俺が長年の紆余曲折の末に辿り着いた究極の撮影方法である
そして俺はデジカメの最大の利点とでも言っていいほどの機能である撮影後の確認をいっさいしないのだ
これは銀塩カメラ(いわゆるフィルムのカメラ)時代を忘れない為
あの頃は現像してみないとわからなかった
よって失敗もかなり多かった
フィルム、現像、プリントとかなりお金のかかる趣味であった
それがデジタルになりいつでも気軽に撮れるようになった
現像に出さ無くても良いので盗撮野郎も増えた
そんなデジカメであるが
俺も直ぐに飛びついた
30万画素
おもちゃみたいな独特な写りが面白かった
そしてGRDの登場で俺は完全にデジタルへの移行を考えたのだ
フィルム時代はライカをメインにGR1sのコンパクトから2眼レフに一眼レフまで様々なカメラを使っていたその当時の京都の写真がこちらである
若かったのもあるが必死にとんがって作品にしようとしていた時代である
俺は写真は独学でやっている
一応基本的なことは本を読んで勉強したが難しい事はよくわからない
それは俺がとても頭の悪い人間だからである
基本スナップしか撮らないのでそれでもどうにかなる
ネット上に投稿した写真をカメラ雑誌のフォトコン入賞の常連の人が褒めてくれたり近所のカメラ屋のおっさんから褒められたりして多少有頂天になっていたのも事実だ
そんなある日
俺は森山大道さんの個展を見に行ったのだ
それは個展とは言っても本の出版に関しての物だったので小規模ではあるが
その個展で俺はものスゴイ衝撃を受けたのだ
それは「三沢の犬」と呼ばれる一匹の犬の写真だった
その犬は写真でありながら俺に食いつこうと睨みかけて来たのだ
なんかよくわかんないんだがとにかく震えが止まらない
俺は急に自分が恥ずかしくなり自分が今まで作品だと思っていた物がただのゴミだって事に気づいてしまったのだ
写真とは記憶の記録
森山大道さんがよく使う言葉である
俺はそれから森山大道さんの本を買った
写真集は既に新宿を購入済み
その新宿を見て衝撃を受けての個展だった
犬の記憶
この2冊で森山さんをより深く知る事になった
「犬の記憶〜森山大道・写真への旅〜」ロングトレイラー【HD】
こちらがDVDである
そしてドキュメンタリーのニアイコール
MORIYAMA DAIDO 「NEAR EQUAL」 森山大道「ニアイコール」
俺が趣味とはいえ今まで有頂天になっていた物はただの劣化した猿真似でしかないのを思い知らされたのだ
これがまず第一段階である
この後で俺はアラーキーの一冊の写真集と出会う
「さっちん」
団地に住む子供達を撮影した名作である
荒木経惟氏はこの写真で木村伊兵衛の目に止まり脚光をあびることとなった
俺はそれまでアラーキーと言えば過激なヌードのイメージでしかなかった
それがこの写真集に写っている子供達を見て再び衝撃を受けることとなった
この後の話はまた次回である
俺が強く影響を受けた2人の写真家
これにより俺の作風も変わり出すのだ
ちょうど銀塩からデジタルへの移行期でもある
そのころはまだまだデジカメも発展途上の機械
それもあり自分の思うような写真が撮れない
そのころ初代GRDで撮影したのが
まだまだ作品にしようという意識が強い中でビニール傘の写真みたいに
非常にどうでもいい記録としての写真を撮り始めた頃である
今見るととても懐かしい
醍醐寺の落書きの写真も自称社会派を意識しての事だ
そして最後の鴨川の写真
これは自分では傑作の1枚である
空気感
この一枚をヒントに今後の方向性が少し見えて来た1枚である
と写真の話01はここで終
偉そうに語ってはいるが俺は全くの素人である
ただ適当にシャッターを押すだけの自称天才散歩写真家である
その俺のネット上での回顧展的な写真の話
文化の日なんで少しだけ書いてみた
銀ダラの写真で大失敗した日に
ちなみに森山大道さんもデジカメで撮影した写真は家に帰るまで見ちゃダメとおっしゃっている
やはり俺のやってることは正しいのである
でもこれをやると銀ダラの写真をブログに掲載出来ないという諸刃の剣であることも我々素人写真家は知っておかなければならないのだ